武田氏3代の居城であった躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)は山梨県甲府市にあり、武田氏館跡として国の史跡及び、日本100名城に指定されている。
現在は、武田信玄を祭神とする武田神社がある。
JR甲府駅からほぼ真っ直ぐな道路が約2kmに渡って武田神社まで続いている。
武田氏館の歴史
武田氏はそれまで、現在の石和温泉郷に近い川田館に居を構えていたが、1519年に信玄の父、武田信虎によって築城され、以降武田氏の居城となっている。
また、館を守る支城も築城しており、1520年に武田氏館の背後の積翠寺丸山に要害山城を築城、1523年に城下西側の湯ノ山に湯村山城を築城している。
武田氏館は信虎、信玄、勝頼の3代が使用したが、1582年の武田氏滅亡後、織田家家臣の河尻秀隆が入城、本能寺の変ののち、徳川家康による甲斐支配の主城として、天守も築かれたが、1590年、徳川家家臣の平岩親吉による甲府城の築城により、その機能を移転することとなった。
その後、武田氏館は破却されたが、その時期は明らかになっていない。「甲斐国史」によると要害山城が1600年に破却されていることから、同時期であると考えられている。
1915(大正4)年、大正天皇の即位記念として武田信玄に従三位が追贈されたのを契機に武田神社奉建会が設立され、1919(大正8)年に社殿が竣工、同年の4月12日、信玄の命日に初の例祭が行われた。
武田氏館をリア攻め
武田氏館を攻略したのは、2023年10月19日の木曜日。
甲府駅側から参道(公道)を武田神社に向かって進むと入口手前右側に駐車場がある。
また、左側から神社の裏手を回って旧大手門側にある駐車場に止めることもできる。
いずれも駐車可能台数は少なく、土日は厳しいかもしれない。
鳥居をくぐって階段を登る。
まずは武田神社に参拝、手水舎に。こんなところに武田菱。
神社の右側に館時代の井戸がある。
宝物殿の手前に何故かキティが(奥の建物が宝物殿)。
神社右側の本殿跡地。
駐車場の入口になっている旧大手門跡。
スタンプと御城印
スタンプは2箇所にあり、武田神社の社務所と宝物殿で押印できる。
御城印は社務所で500円で販売している。
以前は甲府市武田氏館跡歴史館(信玄ミュージアム)の特別展示室(300円)の観覧記念として無料配布していたが、2023(令和5)年3月で無料配布を終了している。
さいごに
時間がなく、神社裏の遺跡や、甲府城には立ち寄ることができなかった。
山梨県の日本100名城は、この武田氏館と甲府城だけなので、また改めて攻めにきたい。
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