鹿児島3泊4日の旅、3日目は薩摩半島の山川港から大隅半島の根占港へフェリーで渡り、佐多岬やJAXA内之浦宇宙空間観測所等を回ってきた。
最終日は志布志城と桜島。
4日目のルート
- 4日目2023年12月16日(土)
- ホテル志布志 発
- 志布志鉄道記念公園
- 志布志市埋蔵文化財センター
- 志布志城
- 志布志駅
- 桜島〜黒神埋没鳥居
- 道の駅「桜島 火の鳥めぐみ館」で昼食
- 有村溶岩展望所
- 鹿児島空港〜帰宅
志布志鉄道記念公園
この日はホテル志布志を9時半過ぎとちょっと遅めの時間に出発した。
鹿児島空港発のフライトが17時30分と言うのもあるが、前の晩に武者武者で食事したあとスナックに行って痛飲してしまったのが大きな理由。
ちなみにホテル志布志は「志布志市志布志町志布志」と舌を噛みそうな住所にある。
ホテル志布志の直ぐ側にある志布志市鉄道記念公園は、現在の日南線の他、大隅線、志布志線が乗り入れていたターミナル駅で、1987(昭和62)年に両線が廃線後、その機関区跡が鉄道公園として整備されている。
昼間に見るとちょっと痛々しいイルミネーション。
何故か、どこでもドア。
そして無理矢理感の強い象。何年か前のパンダとアシカ問題を思い出す。
志布志市埋蔵文化財センター
志布志城を攻める前に、車で5分ほどのところにある志布志市埋蔵文化財センターへ立ち寄って、続日本100名城のスタンプと情報収集をする。
情報収集の結果、志布志城の大手口近くの駐車場は志布志小学校を目指すと良いとの有益な情報を得る。
立派な内城の復元模型。
確かに小学校ならナビで案内してくれる。
それとこのような折りたたみ式の案内図がもらえる。とても分かりやすい。
志布志城
志布志小学校の隣にある駐車場から大手口に続く道より本丸を目指す。
両側に廃墟が並ぶ狭い山道。
夏は絶対に入る気がしない。
ようやく本丸に到着。
本丸から搦手門口方面を目指すと、シラス台地を削って作った高低差の激しい空堀が。
かなり急なので降りるのに大変難儀したが、下から攻めてくるのも大変だっただろう。
一般道の手前左側にある若宮神社。
阿吽の形相をした仁王像。
志布志小学校の前を駐車場に向かって歩いていくと、財寶温泉の自販機。
東京では見たことない。
志布志駅
志布志城から志布志駅へ。
志布志駅にある志布志市観光特産品協会に立ち寄り御城印をゲットする。
(うっかり逆さまに押してしまった)
かつて3路線が乗り入れていたことはとても想像できない小ぢんまりとした駅。
桜島の黒神埋没鳥居
志布志駅から桜島へ。
桜島口から反時計回りで周囲を回る。
程なく駐車場があり、車を止める。
元々3メートルの高さのあった鳥居が、1914(大正3)年の桜島の大噴火により黒神一帯を火山灰、軽石等で埋め尽くし、笠木だけを残して埋没してしまったそう。
当時の東桜島村長が噴火の脅威を後世に伝えようと掘り起こすのを止めたため、そのままの形で残っているらしい。
道の駅「桜島 火の鳥めぐみ館」で昼食
駐車場に戻って再び反時計回りに走る。
「あまり民家がないのに学校がある」ことが不思議だったが、標高が下がるにつれ民家が増えていく。
薩摩半島、鹿児島市内へのフェリー乗り場を過ぎたところにある道の駅「桜島 火の鳥めぐみ館」に立ち寄る。
黒豚ラーメン 650円。
有村溶岩展望所
昼食を食べて再び反時計回りに進み、有村溶岩展望所へ。
ところどころにコンクリート製の頑丈なバス待合所のようなものが道端にある。
よく見ると退避壕と書いてある。
噴火があった時に一時的に避難するためものらしい。
また、川の工事をしているのかと思ったら、よく見ると、堀のようなものを作っていた。
おそらく土石流等をせき止めるものなのだろう。
有村溶岩展望所は、1946(昭和21)年の爆発によって流出した溶岩原の展望所で、全長1kmに及ぶ遊歩道の途中にある。
天気の良い日なら雄大な桜島と錦江湾(鹿児島湾)の景色を楽しむことができるそうだが、残念ながら結構な雨が降っており、傘を持たない我々は駐車場にあるビジターセンターに行くのが精一杯。
それでも溶岩石を見ることができ、群馬県の鬼押出しとはまた違った雰囲気があった。
さいごに
有村溶岩展望所から再び反時計回りに出発、桜島をぐるっと一周して鹿児島空港に向かう。
この日の羽田へのフライトは17時30分発。
余裕を持って16時過ぎに空港に到着し、荷物を預けようとしたところ、なんと17時30分の便が欠航。
その後19時発に変更になったがこれも出発が40分程遅れ、羽田空港に到着したのは21時15分過ぎ。
自宅への到着も当然22時を過ぎてしまった。
こんなことは初めての経験だが、きっと忘れないだろう。
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