長崎旅行も3日目、最終日となります。
1日目は大浦天主堂、グラバー園、出島など長崎市内を中心に散策
2日目は軍艦島に上陸
3日目の最終日はレンタカーを借りて雲仙、島原と回ってきました。
3日目のルート
こんな感じで回ってきています。
- 市電でニッポンレンタカー長崎へ
- 雲仙(仁田峠第一展望所駐車場)
- 原城跡
- 島原城
- 諫早湾干拓道路
JALシティ長崎を出発
JALシティ長崎を出発、歩いて3分ほどのところにある、「新地中華街駅」から市電に乗りました。
レンタカー
旅先でレンタカーを借りるときは、いつもニッポンレンタカーを利用しています。
店舗数などの規模でいえば、トヨタレンタカーや、オリックスレンタカーのほうが大きいですが、昔から利用している安心感というか、ついついニッポンレンタカーにしています。
この日の車はトヨタヴィッツ。
レンタカーの代名詞のような車です。
借りたのはニッポンレンタカー長崎駅前営業所。
場所は長崎駅の北側で、市電で行くなら長崎駅前停留所ではなく、八千代町から歩いたほうが行きやすいです。
雲仙岳
まずは雲仙岳のロープウェイ乗り場を目指します。
長崎駅前から約65km、1時間半の工程です。
走っていて感じたのは、あまり田舎道がなく、ずっと市街地だった印象が強いです。
雲仙岳のふもとまで来ると、ようやく山道になり、雲仙の温泉街を抜け、仁田峠第一展望所駐車場に到着です。
雲仙岳は20以上の山々から構成される火山の総称で、主峰は普賢岳(1,483m)ですが、1990(平成2)年から1995(平成7)年にかけての火山活動でできた平成新山が長崎県の最高峰(1,483m)となりました。
雲仙岳ではロープウェイに乗らず、一休みして出発です。
原城跡
仁田峠第一展望台から原城跡に向かいました。
原城跡は南島原に位置し、約25km、40分ほどの行程です。
山道をひたすら下り、国道251号線に出て左折、しばらく市街地を進むと原城跡に到着です。
原城は1496年に有馬貴純が築城し、有馬晴信が居城として整備しました。
有馬晴信の改修により、本の丸、二の丸、三の丸、天草丸などが築かれています。
1616年、松倉重政が原城の本城である日野江城に入城しましたが、不便な日野江城を放棄し、島原城を築城したため、原城も一緒に廃城となりました。
1637年に起こった島原の乱では、一揆勢が廃城となった原城に立てこもり決戦の地になりました。
後の発掘調査では、本丸に天草四郎の居館とされる遺構も見つかっています。
2018年に世界遺産登録が決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産にもなっています。
島原城
原城のあとは島原城に向かいました。
島原城までは国道251号線をひたすら北上し、約30km、45分ほどで到着します。
島原城は1624年に松倉重政が築城、火山灰や溶岩流でなる地盤での工事は困難だったようで、松倉家2代目、勝家の時代に起きた島原の乱の一因にもなりました。
1876(明治9)年に天守など建造物が破却され、畑や学校が立ち並びました。
1964(昭和39)年、天守が復元、キリシタンや藩政時代の資料を展示する歴史資料館となっています。
天守からみた島原市内です。
正面中央に見えるのが、島原鉄道の島原駅です。
リンガーハットで昼食
島原城から再び国道251号線を北上、すぐにリンガーハット島原店があります。
前日、皿うどんでしたので、この日は再びチャンポンにしました。
さすがに運転がありますので、ビールはなしです。
諫早湾干拓道路
昼食後、島原鉄道と並行する国道251号線を諫早方面に向かって走ります。
約23km、30分ほどで諫早湾干拓道路に到着です。
諫早湾の干拓事業は干拓による農地の確保と水害防止を目的として行われ、2007(平成19年)に完成し、堤防の上に道路が設けられ、これが諫早湾干拓道路となっています。
堤防の内側は淡水、外側は海水となっています。
干拓道路の途中に駐車場があるので立ち寄りました。
道路を横断する歩道橋からパチリ。島原方面です。
反対側、諫早方面です。左側が淡水、右側が海水です。
干拓道路を渡った後は西に進み、長崎空港から帰路につきました。
さいごに
最終日は、走行距離、約160kmの工程をほぼ一般道で走ったため、結構ハードスケジュールとなってしまいましたが、3日間ともとても良い天気で思う存分楽しめました。
今回行けなかったですが、佐世保とか五島列島とかもいつか行ってみたいと想います。
ちなみに長崎のコンビニでは、「ちゃんぽんやきめし」なるおにぎりが売ってました。
ちゃんぽんスープで炒めているようで、中々美味しかったです。
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