福島県二本松市にある二本松城は、東北道、二本松ICから4km、10分ほど。
日本100名城に選定されており、別名、霞ヶ城、あるいは白旗城と呼ばれている。現在は霞ヶ城公園として整備され、日本さくら名所100選にも選定されている。
麓の居館と、標高345mの白旗が峰に築かれた城郭からなる梯郭式の平山城である。
二本松城の歴史
二本松城は、室町時代の初期、1341年に室町幕府より奥州探題に任ぜられた畠山高国が最初の居を構え、7代当主、二本松光泰が1400年代に二本松城を築いたとされる。
15代当主、二本松義継の時に伊達政宗の攻撃を受け、1586年に二本松氏は滅亡した。
その後伊達家の支配から1591年に会津藩の支城となり、しばらくは城代が置かれていたが、1627年に松下重綱、1643年に丹羽光重が入城し、光重は二本松藩の藩庁としての威容を備えるため大改修をおこmない、本丸に石垣を罪、3重の天守を築き、以後、明治維新まで丹羽氏の居城となった。
1868年の戊辰戦争に際し、二本松藩は新政府軍と戦ったが、藩兵の大半が白河口に出向いている間に二本松城は落城、この時に城の建物の多くが焼失している。
二本松城をリア攻め
二本松城は2020年9月と2023年11月の2回攻めている。
2020年は雨模様で観光客も少なかったが、2023年は菊人形展の期間中で多くの観光客で賑わっていた。
箕輪門脇の駐車場に車を止め、二本松少年隊の像の奥、箕輪門から場内に入る。
三の丸跡は菊人形の会場で、その脇に本坂御殿があったよう。
場内の散策路は舗装されていないものの、所々にウッドチップが敷設されている。
秋には紅葉を楽しみながら本丸を目指していくことができる。
本丸の石垣が見えてくる。
石垣の積み方によって設置時期が違うのが分かる。
本丸からは360度の景色を楽しむことができる。
天守台。
本丸を回って搦手門へ。
搦手門側から降りていくと洗心の滝、
城代の居館、新城館と元宮舘の跡を通り、
るり池と、
霞ヶ池を通って、
箕輪門に戻ってくるコースが一般的だろう。
スタンプと御城印
スタンプ、御城印とも駐車場から道を挟んだ先にある、にほんまつ城報館で入手できる。
御城印は1枚200円で、訪問したときは限定版含め4種類あった。
城報館には綾瀬はるか似の菊人形が飾ってあった。
さいごに
遺構は曲輪、天守台、石垣、空堀で建物は復元した箕輪門ぐらいだが、石垣はなかなかの迫力だし、本丸からの景色は絶景だ。
2023年に行ったときは、紅葉真っ盛りで天気も良く、菊人形展もあり、多くの人で賑わっていたが、本丸まで登る人はそれほど多くなく、ゆっくりと楽しむことができた。
整備事業はこれからも続くらしいので、本丸跡に登れるぐらい体力が残っているうちにもう一度攻めに来たい。
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