スマホのGPS機能を利用して、城の攻略を楽しむアプリ「ニッポン城めぐり」。
実際に城を訪問しなくても攻略可能なので、例えば電車の中から「城攻め」ボタンをクリックするだけで、近くにある城を攻略することは可能なのですが、せっかくだから実際に城を訪問したいところです。
アプリには「自分年表」という機能があり、GPSで攻略したところと区別して、実際に訪問したところは「リア攻め」として記録することができます。
今回は、リア攻めを行った福井城について「書いておく」ことにします。
福井城のある場所
福井城は、福井県福井市にあり、続日本100名城に指定されています。
現在は、本丸の石垣と堀が残っており、本丸のあったところは福井県庁、県議会、県警本部が立ち並んでいます。
福井城址の入口は、JR福井駅から歩いて5分ほどのところにあります。
福井城の歴史
現在遺構が残る福井城は、その昔、北ノ庄城といって、徳川家康の次男、結城秀康(後の松平秀康)によって築城、約6年の歳月をかけて1610年頃に完成したものです。
それ以前は、織田信長家臣、柴田勝家が1575(天正3)年に北ノ庄城の築城を開始、越前を支配していましたが、1583(天正11)年の「北ノ庄城の戦い」で羽柴秀吉に破れ、建造物のほぼ全てが焼失しました。
その後、丹羽氏、堀氏、青木氏の支配が続いてましたが、関ケ原の戦いの功績により、結城秀康が北ノ庄を拝領、以後幕末まで結城氏から改名した松平氏の藩政が続きます。
福井藩3代目藩主松平忠昌の頃に、北ノ庄の「北」の字が敗北に通ずるところがあって不吉であるとして、福居、福井と改名しました。
諸説ありますが、現在も城址に残る「福の井」という井戸にちなんで解明されたと言われています。
越前松平家(福井松平家)による藩政は、幕末まで続き、1871(明治4)年に福井城の解体を政府に申し出、1873(明治6)年に陸軍省の管轄になりました。
その後、福井藩最後の藩主である松平茂昭が福井城跡を買い戻し、1893(明治26)年に「松平試農場」を設立、1921(大正11)年まで続きました。
「福の井」は、本丸の北西、天守跡の近くにあり、福井駅から向かうと、御本城橋を渡って正面、福井県庁(右側)と福井県警(左側)の間を入っていった奥にあります。
福井城をリア攻め
福井駅前から徒歩で福井城に向かいました。
信号を渡って、御本城橋を渡ります。
本丸跡に入っていくとすぐ右側に、結城秀康公の石像があります。
結城秀康公の後ろが福井県庁です。
続日本100名城のスタンプは県庁でもらうことができます。
ちなみに、御城印は「福井市立郷土歴史博物館」で販売しており、福井城から歩いて7~8分の所になります(開館時のみ販売)。
奥にある階段を登ったところに天守跡があります。
天守の右側に「福の井」があります。
以前訪れたときは櫓はありませんでした。
天守跡の手前、左側に山里口御門(復元)があり、階段を登って中に入ることができます。
山里口御門を抜けると御廊下橋があります。
御廊下橋を渡ったところにある、中央公園(二ノ丸跡)から見た御廊下橋です。
御廊下橋を渡ったところが西二ノ丸、西三ノ丸とあり、かつて御座所があったところになります。
御座所があったところです。
ホテルフジタ福井を左手に見ながら北に進むと、中央公園の先に福井神社があります。
福井神社は、16代藩主松平慶永(春嶽)を祀る神社として、1943(昭和18)年に創建された神社です。
福井神社は、別格官幣社に指定された最後の神社で、指定を受けている神社は28社のみとなっています。
境内には松平春嶽公の像があります。
さいごに
今回は福井城本丸跡と中央公園、福井神社のみを攻めてきましたので、所要時間は1時間ほどでした。
他にも周囲には、柴田勝家が築城した北の庄城址(柴田神社)がある他、北に13km、車で30分ほど足を伸ばせば、現存12城のひとつ、丸岡城もあります。
他にも朝倉市一乗谷遺跡や、天空の城、越前大野城もありますので、またゆっくりと攻めてみたいと思います。
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